タイ、バンコクの中華街(ヤワラー)は...
これだけ発展したバンコクの街のかでも...やっぱ、今でも全然変わらない場所...
外国人の多くが生活するサイアム地区近辺のBTS沿線🚆は、
今や信じられない程の数の高層ビル🌇、モールが立ち並び、物量、便利度etcetc、どれを取ってもそこいらの先進国を既に凌駕している程の発展を遂げているのに...
昔と全然変わらない(いや、少しづつ綺麗にはなっている?)中華街(ヤワラー)の魔力は、まだまだ尽きていない...みたいな...
そんなジュライホテルも既に1995年10月には(そんな前に)その歴史を閉じていたという事実は、私にとっては結構衝撃的...
更に驚かされるのは、その後も壊されもせず、そのままの姿を28年間も晒し続けている事...😦
またもう一つのレガシイ、楽宮旅社も、2004年に完全閉鎖...
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ところが、当時これらの(特に日本人の宿泊先の一翼を担ったもう一つのホテル/旅社と呼ばれた安くて、いかがわしい系のホテル)『台北大旅社』は、なんと‼️経営者が遣り手だったのか、今でも残っていた‼️
「7月22日ロータリー」から放射線状に広がる一本の別の道を進むと、場所と言い、その躯体に明らかに当時の面影を残しているものの、綺麗にリノベーションされ...
今や『W22』という一見オシャレなホテルに生まれ変わり(どうやら以前と同じオーナーらしい...)そこに佇んでいた。
当時は、広々していて、少しコザッッパリしていて、ジュライや楽宮とは明らかに一線を画し、ちょっとだけ敷居が高かった気がする(まあ、中華系という事もあったんだけど...)。それでも安い情婦💙たちが常駐していた。
当時は、目的を失い、楽な方、楽に方に流れ続け、そのままドロップアウトした日本人旅行者達が多く沈んでいた、このジュライ広場周辺...あの堕落感、怠惰感、倦怠感が充満して息苦しかった空気を今でも思い出す...安宿、安飯し、安い女...何もかにもが湿りっ気たっぷりで、とても重かった...
30年も40年も前に、『楽宮旅社』の谷恒生も『深夜特急』の沢木耕太郎ら(文章の世界でその後世に出て行った)偉大な先達も、足跡を残したこの地/この場所…
「7月22日ロータリー(ジュライロータリー)」
あゝ…今思い出しても...なんだか、ゾクゾクする...
※以下、昔の悪と退廃に満ちたダークな面影をすっかり隠し、今やピカピカにリノベされたオシャレな姿のW22ホテル(旧 台北大旅社)の様子↓
『あの時代の遺構🏩』が、今のこの時代に、
綺麗に生まれ変わり/価格もリーズナブル👍となり蘇っている...👻と、でもいえば良いのか...
当時を知っている方・懐かしく思う方・怖いもの見たさで、もう一度このロータリーに来てみたいと思っているお年寄りたち(あの頃、青年だった方々🤣)は、是非‼️〜〜
このホテル(W22=旧 台北大旅社)に泊まるべし‼️